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実録女の性犯罪事件簿 諸岡宏樹著

現在は、一言で悪というものを表すのがますます難しくなっている。道徳の時間というものが授業より消えたわけは、善悪を教えて教えきれるものではない、と言っているようにしか思えない。

個々人に善悪の判断を委ねた?ということなのか?それとも、善悪判断すること自体を諦めたということか?

悪を標準値からの逸脱、としか見ないのであれば、法律の枠で個人を縛ることも可能だが、法律自体も細目が多くてわかりづらいため、標準・基準にはなりがたい。

この書籍に書かれている事件当事者の男女は、果たして悪か?警察に捕まったから悪、ということであれば非常にわかりやすいが、事件簿のほとんどの服役者たちは、事件当時はそれを悪とは思っていない。法廷でなにがしかを裁判官に説諭された時のみ、涙をこぼし、反省、または後悔した、とあるが、悪いことをした結果、懲役することになった、とは考えていないようだ。

周囲を見ず、自分勝手な思考と行動の結果、事件となった、という認識しか服役者にはない。最悪なのは逮捕されたのは運が悪かった、と思った者も居ただろう。依然、事件として発覚し、悪というレッテルを貼られるのは、氷山の一角でしかなく、未だに事件が起こっていると考えると、やはり悪という観念が事件の抑止にはならないと分かる。道徳の授業がなくなった訳は、こうしたところにあるのだろう。

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ベストセラー小説の書き方 ディーン・R・クーンツ著 大出健訳

この書籍は呪いだ。それはこの書を生半可にも、読みこなしたつもりになる者へのトラップだ。作品を著述する方法論が書かれていると勘違いする者への罠になっている。

クーンツ自身は、作品は作者に委ねられるもので、その作者でなければその作品が書けない、そうした作品が出版業界を沸かし、ファンを引き寄せる、と書いている。以前読んだ、題材同様の他者の書籍には、作品は読者を意識し、対話しろ、と書いてあったが、そんな低次元のことはこの書籍では述べていない。ここに書いてあるのは、読者にサービスをし、思いやりを持て、と述べているのみで、対話という言葉が低次に見えた。

同時に、読書するべき、という世間一般の浅薄な考え方を呪っている。読書は大切だ!深味のある人間形成に欠かせない!そうした謳い文句への警鐘にもなっている。順番はまったく逆で、本は読みたいから読むもので、その本が読んでつまらなければ、読むのは止めて本を閉じろ!とさえ言っているようだ。元来の読書の楽しみ方まで示唆している。

この呪いを解く方法はひとつだけ。途中で閉じずに読める本を片っ端から読んで読みまくるのだ。そうした物語はきっと、プロットがしっかりしており、形容詞だけでない人物評価や背景が書き込まれた、読み応えのある本なのだ。

書きたいものを書くことと、読みたい本を読むこと、は陰と陽だと、初めて分かった、深みのある本であった。

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サイコパスという名の怖い人々 高橋紳吾著

「悪」というものを書き出したくて、相対的な悪である犯罪者に絞って読み始めた本の中の一冊。

ひとは善悪分別のタガが外れることで、犯罪に及ぶと考えがちだが、サイコパスにはそれがない。犯罪を犯すには、それなりの覚悟が必要だが、それも常人の考え方だ。

だが、サイコパスという存在を知れば、ある程度は事件の当事者になることは防げるはずだ。サイコパスが犯罪を犯す時は、それは衝動的で突発的なものではなく、常人の考える覚悟とは違った思考回路で、彼らはある種犯罪の準備をする。身近にサイコパスと呼ばれる者がいないに越したことはないが、読書中に、恐らくサイコパスであろう、と予想できる者の顔が数人浮かんだ。他人事でないことが恐怖であり、この本の醍醐味であり、そして意味のあることだと知る。

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絵でわかる マンダラの読み方 寺林峻著

意図する、それを伝える、という作業の中で、やはり空海さんは飛びぬけているようだ。金胎両部曼荼羅は非常に美しい仏教美術品だが、この書籍の案内に従って、マンダラを実際に歩いてみれば、空海さんが我々に伝えたかったことがよくわかる。

挿絵も素晴らしいが、この書籍は文字で密教の入門を記すというよりも、地図で自分のいる位置を示し、歩く道しるべをところどころに配置してくれている。むしろアミューズメントパークを堪能するような楽しさに満ち溢れている。

人生上の道に迷って読むのも良し。日常で自分が今どこに立っているか知りたいときに読むのも良し。腹が立ったとき、悲しいとき、有頂天になっているときに読んでも良し。感情のありとあらゆるものがこの書籍とマンダラには含まれている。

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書きあぐねている人のための小説入門 保坂和志

主体が何か?については常に考える癖がある僕にとって、この書籍は大変参考になった。執筆の主体がなにか?つまり、本は主体が、著者なのか?読者なのか?それとも編集者なのか?を明確に示している本だ。

著者が何を見て、なにを考え、そして感じるか?を構築していく作業が執筆なのだ。

また、この書籍は長年僕の本棚に埋もれていたものだった。時機が来たら読んでみよう、と思い買い求めたわけだが、小説の作法、と帯に記されているため、敬遠していた。作法は打破するもの、既成の観念をぶっ飛ばせ!が僕の信条だったため、買っとく、積んどく(積読ではない!)にして、遠巻きにしてしまったものだったが、読んで正解。結局、本には時機到来で読むものではないらしいことが身に染みた。あるもの、現存するものを否定するスタンスに身を置く僕だ、正解がない世界に身を置く保坂氏の執筆スタイルには、悔しいことだが共感できた。

「頭がいい人」と言われる文章の書き方 小泉十三と日本語倶楽部 著

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「頭がいい人」と言われる文章の書き方

1ページ目より辛辣なのは、編集者の目線による文章への様々な感情が吐露しているように読めた。小学校より習ってきた国語から、新聞社説、雑誌、明治の文学者から現代の小説家に至るまで、さまざまな文章にはルールがある。それらルールから逸脱してしまった稚拙な文章を、筆者は遠慮なくぶった切る。筆者は読みづらい文章、論理破綻な文章、陳腐、偉そうで不快な印象を与える文章を、怒りをもって指摘し、切り取っては書き直す作業を繰り返す。編集者ならではの手法なのだろうが、職業病というよりは、実は文章への愛情が深いために書き直しているのだから、読んでいて楽しかった。

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サイバー戦争の今 山田敏弘著

過去、ニュースでは端的にしか知らされなかった、サイバー戦争の、推量を交えた実態。チャンコロが厚かましいのと、日本国政府の不甲斐なさが際立つ。

やはり、情報は使う側から作る側でないと、今後は生き残れないようだ。