f:id:tomosefuku:20211020181752j:plain

実録女の性犯罪事件簿 諸岡宏樹著

現在は、一言で悪というものを表すのがますます難しくなっている。道徳の時間というものが授業より消えたわけは、善悪を教えて教えきれるものではない、と言っているようにしか思えない。

個々人に善悪の判断を委ねた?ということなのか?それとも、善悪判断すること自体を諦めたということか?

悪を標準値からの逸脱、としか見ないのであれば、法律の枠で個人を縛ることも可能だが、法律自体も細目が多くてわかりづらいため、標準・基準にはなりがたい。

この書籍に書かれている事件当事者の男女は、果たして悪か?警察に捕まったから悪、ということであれば非常にわかりやすいが、事件簿のほとんどの服役者たちは、事件当時はそれを悪とは思っていない。法廷でなにがしかを裁判官に説諭された時のみ、涙をこぼし、反省、または後悔した、とあるが、悪いことをした結果、懲役することになった、とは考えていないようだ。

周囲を見ず、自分勝手な思考と行動の結果、事件となった、という認識しか服役者にはない。最悪なのは逮捕されたのは運が悪かった、と思った者も居ただろう。依然、事件として発覚し、悪というレッテルを貼られるのは、氷山の一角でしかなく、未だに事件が起こっていると考えると、やはり悪という観念が事件の抑止にはならないと分かる。道徳の授業がなくなった訳は、こうしたところにあるのだろう。